Profile

368nmile サンロクハチエヌマイル

記憶や天気、日々の感覚をもとに、
にじみや重なりを万年筆インクを用いて
制作しています。

作品は、見る人それぞれの記憶や時間と
ゆっくり重なることを大切にしています。

▼368nmileになるまで

368nmile アーティスト名の由来

東京へ行くことが決まったとき、私は少しだけ大人になったふりをしていました。
大学進学のための上京。
選んだのは、夜行バスでした。

裕福な家庭ではなかったので、与えられた手段はごく自然な選択だったけど、
八戸駅に向かう車の中で、胸の奥がじわじわと締め付けられていくのを私はずっと感じていました。
雪が、斜めに、容赦なく降っていた夜でした。

これから待っている東京での生活について話そうとしても言葉が見つからず、
見つかったと思った瞬間には、もう家族とは過ごせないんだと分かってしまって、
涙の方が先にあふれてしまう。
結局、送ってくれた父とはほとんど会話をすることなく、時間だけが過ぎていきました。

夜行バスの時間になって、
「時間きたっきゃ、バスさ行ぐね」とだけ伝えると、
父は短く返事をしました。
いつも通りの、感情をあまり表に出さない声でした。

この雪の中、娘が東京さ行くっていうのに、乗るところまでは見送ってもらえないのだろうか。
そんな寂しさが胸を締めつけたけど、
それを悟られたくなくて、私は一度も振り返らずにバスに乗り込みました。

窓際の席。
運転手の「発車します」というアナウンスが流れた瞬間。
どうしても耐え切れなくなって、閉じられていたカーテンをそっと開きました。

斜めに強く降る雪の中。
父が、立っていました。
手を振るでもなく、ただ黙って、こちらを見ていました。

私がどの席に座っているかなんて、知らないはずなのに。
顔に冷たい雪が痛いほど刺さっているのに。
周囲の目があったから、私は、声が漏れないように洋服の袖を口に押し付けて泣きました。
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東京での大学生活は、思っていたよりもずっと難しいものでした。
うまく言葉を選べず、相手の意図を汲みとれず、
自分だけが違う場所に立っているような感覚がありました。
これまでうまくいかなかった違和感のようなものが、東京でぶわっとあふれ出たようでした。

困ったとき、実家の父に電話をかけることが増えていきました。
ある日、
「お父さんは君の父親だから話を聞いてあげられるけど、友だちはいないの?
送り出した娘が毎日のように愚痴や不安を電話で言われるのは、正直辛い」
電話代のことにも触れられました。

電話代は自分で払っていました。
月に何万円もかかっていたけど、父と話したくて食費を削っていました。
ほかに相談できる相手がいなかった。
それでも、父からの言葉は、大型客船のアンカーのように重く心に沈んでいました。

その日から、父に相談することができなくなりました。

友だちをうまく作れず、
バイト先では「不思議ちゃん」「空気が読めない人」と言われ、
自分でも何がみんなと違うのか、どう生きていけばいいのか、
いつも喉の奥で広がる重い空気の塊のようなものをみんな感じていないのだろうか。
その苦しさは、社会人になってからも続いていきました。

父から届いた年賀状。
「元気にしてるか?」

寡黙な父らしい、たったひとこと。

そうだ、電話の代わりに、手紙を書いてみよう。
電話だからついつい勢いでしゃべってしまったんだ。
言葉を選んでいるつもりでも、気が付くと愚痴になってしまう。
そんなあるとき、万年筆を知り、書くときの気分が変わるかもしれない、
そう思って文房具屋に入りました。

高級な万年筆が並ぶ棚の前で、
手に取ることすらためらっていると、
女性の店員さんが声をかけてくれました。

事情を少し話すと、
スケルトンでインクの色が見える、クリップが金色の万年筆を勧めてくれました。
シンプルな作りだからこそ、ずっと使えるものを。
「きっとあなたの気持ちに寄り添ってくれると思いますよ」
その言葉に背中を押されて購入しました。

その万年筆で手紙を書くと不思議とネガティブな言葉より、
うまくいけるようにがんばるよと前向きな言葉で締めくくれるようになりました。
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それでも、社会人になってからの日々は、楽なものではありませんでした。
自分の不器用さと上手に立ち回れない人間関係に疲れ切る毎日でした。
どうして、みんなにできることが、自分にはこんなにも難しいのだろう。

ある日の残業帰り、
どうしても真っ直ぐ家に帰る気になれず、
一駅分だけ歩いてみようと思いました。

コートの前を閉じなければ寒い、
秋から冬に向かう頃の夜でした。

すれ違う人たちが、それぞれの場所に帰っていく。
誰かに「今から帰るよ。終電には間に合いそう」と電話する声、
パートナーと合流して、手をつなぐ二人。
まだ飲むつもりなのか、笑い合う同僚たち。

その中を歩きながら、
うまくできなかったこと、言えなかったこと、言われたことば、
頭の中で何度も同じ場面がぐるぐると巡っていました。

いつまでたっても怒られる毎日。
感情を整理して言葉にすることが苦手すぎて、場面によって緘黙や吃音になってしまう。
ネガティブな気質が人間関係にも影響を及ぼしていました。

あぁ、毎日会社に行くのが辛い。
朝なんてこなけりゃいいのに・・・

気分転換になるはずだったのに、
ライトアップされた東京駅が見えてきたとき、
初めて東京駅に降り立ったあの日の記憶が、一気によみがえりました。

大学進学の費用を用意できず、
社会人学生として働きながら学ぶことを選ばざるを得なかった日。
夜行バスで到着し、入社式までの時間を、
駅前でただ立ち尽くして3時間過ごしていたこと。

何をしているんだろう。
シャッターが閉まった駅を見て、ようやく帰る電車がなくなったことに気がつきました。
気持ちを振り払うように歩き続け、いつの間にか現在地が分からなくなってしまいました。

日本橋辺りだろうか。

土地勘はなく、
「きちんとした社会人」「かっこいい大人」に見られたくて、
頑張って履いた少しヒールの高いパンプスは靴擦れを起こして、かかとが血で染まっていました。
その痛みにも気がつかないほど、
感情も感覚も、鈍くなっていたのかもしれません。

痛みと自分へのいらだちに、
思わずパンプスを脱いで投げ捨てようと振りかぶったその先に、
青い道路標識が目に入りました。

国道4号線

その文字を見た瞬間、
八戸駅へ向かう車の中で、
口数の少ない父が言った言葉が鮮明に思い出されました。

「つらいことがあったら、いつでも戻ってきていい。
国道4号線。
これをたどれば、家さ帰れる」

その記憶が胸に広がったとき、
私は、初めて大きな声を出して周囲を気にせず泣きました。
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携帯電話の充電は、ほとんど残っていませんでした。
誰にも連絡できないまま歩いていたけれど、
あの看板のおかげで、
遠回りをしながらも実はアパートに向かっていることに気がつきました。

休憩していたタクシーの運転手さんが偶然声をかけてくれて、
何も言わず何も聞かず、ただ黙ってアパートまで送ってくれました。
後日、あの万年筆でお礼状を書きました。

その出来事を境に、
自分をがんじがらめにしていたのは自分だったんだ、
ということに少しずつ気がつきはじめました。

できない自分を責め続け、周りが触れにくい存在になっていたこと。
本当は周囲が気にかけてくれていたのだと分かったのはだいぶ後のことでした。

できないことを、できないと認める
ひとりでできない、助けてほしいと言う
かっこつけずに自分を素直に見せる

そうして、少しずつ、
胸の奥にしまいこんでいたものを外に出せるようになりました。

このままこの仕事を続けていくのだと思っていました。
あるとき、ふと、
やっぱり自分の名前で、自分の責任で、仕事がしたいという気持ちが芽生えました。
父の生き方や働き方に憧れ、うまくいくかどうかなんてわからない。
けど、挑戦してみたい。

きっかけは、東北の震災です。
やっと繋がった実家との電話で、
父から、
「やりたいことをやりなさい。
いつ、どんなことがあっても、自分がしたいようにやるのがあなたの幸せだ」
そう言われました。

退職を決め、
画家としての名前を考えていたとき、
ふと、あの青い標識を思い出しました。

もし、あの場所から実家まで本当に歩いて帰っていたら、
どのくらいの距離があるのだろう。
そんな軽い気持ちでネット検索してみると、
画面に表示されたのは、

368 nautical mile

直感的に、これだ、と思いました。

いつでも地元を想っていること。
生まれ育った場所に、心があること。
遠く離れていても、
帰る道は、確かに続いていること。

368nmileという名前には、
そんな思いも込めています。

これから描いていく作品も、
その道の途中で見つけた色や気配を、
そのときの素直な感情を、
そっとすくい取るようなものになると思います。

遠回りをしても、立ち止まっても、転んでけがをしても、
また歩き出せることを、
私は知っています。